こんばんは!たかです!
先進的に取り組みを行なっているイギリスのガイドラインでは
神戸大学が発行したACPのパンフレットです。
これは、亀田総合病院の緩和ケアに関わる医師たちが立ち上げた社団法人i ACPが開発したカードゲームで
今年に入り、たくさんのACPについての書籍がだされるようになっていると感じます。
今話題になってる人生会議ポスター問題ですが、ぼくも今仕事の中で普段から接していることで、勉強もしてるのですが
いちナースとして少し物申したいことがあるので、ブログでお話しさせていただきたいと思います。
人生会議とは?
そもそも、人生会議とは何かという話ですが
ACP(Advance Care Planning)の愛称であり、ちょうど1年程前に厚生労働省が名称を公募して決定されました。
日本語に直訳すると、『ケアについて前もって計画すること』という意味になります。
個人およびそのケア提供者との間で行われる自発的な話し合いのプロセスであり、個人の希望を明確化することが重要で、その個人の気がかりや価値観、ケアのゴールを話し合いに含む
と定義されています
アメリカではACPのアプローチ対象を
- 健康な段階にある人
- 疾患の悪化過程にある人
- 予後1年程度が予測される人
つまり、ACPの対象は病気の人はもちろん、現在なんらかの疾病に罹患していない健康な状態の人も含まれます。
以上ざっとACPについて説明しましたが、要点としては
①患者と医療者や家族などのケア提供者が共に行うこと
②意思決定能力の低下に先立って行われること
③プロセスを指していること
と、いうことになります。
ACPの意義
では、なぜ厚生労働省は件のポスターを作ってまで、人生会議の普及促進を図ったのでしょうか?
第一に、生命の危機に瀕した際に70%の人が、医療・ケアの方針を人に伝えることができなくなるという事実があるからです。
最期について周囲の人に日頃話してないと、本人が本来望まない治療やケアを受けてしまうという悲劇が起こってしまいます。
そのために、ACPを周知していく必要があるのですが、前線で働く医療者自身のACPの認知度が低いのが現状です。
実際、多くの人が自宅での療養を希望しているのに、亡くなる場所は病院ということが起こっています。
※厚生労働省の看取り 参考資料より抜粋
ACPの難しさ
しかし、ACPの重要性がわかってもそれを実際できるか、という問題があります。
やはり、死はネガティブなイメージで、元気なうちにそんなことを話すなんて縁起でもない、と思われる方は多いと思います
実際、ぼくも両親とそういう話をするのは気が引けてしまいます。
そこで、僕が実際に仕事で使用しているお役立ちACPツールをご紹介したいと思います。
神戸大学のパンフレット
非常にわかりやすく噛み砕いて書かれていて、取り組みやすいものになっています。
ぼくの職場でもこのパンフレットに沿って利用者さんやそのご家族と話し合いをしています。
もしバナゲーム
これは、亀田総合病院の緩和ケアに関わる医師たちが立ち上げた社団法人i ACPが開発したカードゲームでゲームを通してその人の死生観を知ることができます。
一緒にプレーする人もですが、自分自身の気づいていなかった考えや思いを知ることができる有益性の高いツールです。
ゲームなので、話しにくさを緩和してくれ、楽しく行えるのも魅力です。
こちらはAmazonなどで販売されているので、お正月の帰省時にぜひご両親やご家族とやってみていただきたいです。
書籍
今年に入り、たくさんのACPについての書籍がだされるようになっていると感じます。一般向けに書かれた本は、あまり知らないのですが、参考になる本をいくつかご紹介しておきます。
↑この記事を書くにあたってベースとして参考にさせていただいた書籍です。事例がたくさん載っていて、ACPの実際を知りたい方におすすめです。
↑雑誌『緩和ケア』の特集なんですが、非常によくまとめられています。とりかかりには、かなり良いかと思います。
↑こちらは実践ガイドということでACPの進め方について、詳しく記載されています。医療者向けの内容ではありますが、概要を知りたい方にはおすすめです。
まとめ
記事タイトルにも書いた人生会議のポスター問題ですが、あのポスターが100%否定される内容だったのかと問われると、僕としてはそんなことはない、というのが率直な意見です。
たしかに一部の人には辛いイメージを連想させてしまう内容かもしれません。
しかし、忘れてはいけないのは誰しも必ず死は訪れるということです。
そして、それはいつどのような形で迎えるのかもわかりません。
身体が元気でも認知症になり、意思が伝えられなくなることも考えられます。
死は決して忌避すべきものではないと思います。
医療が発展して死に場所が病院という日常と隔絶された場所になってしまい、ますます死のタブー化が進んだのではないかとぼくは考えています。
しかし、医療財政の悪化や在宅医療の進歩により再び死は日常(家)に戻りつつあります。
今回の騒動がきっかけとなり、人生の最期について真剣に考える人が少しでも増えれば、ポスターの作成にかかった経費は決して無駄ではないでしょう。