思い出
2月3
はいさい
はーたんです
2月3日は立春ですね

暦の上ではもう春なんですね
早く暖かくなってほしいですね
3月に引っ越し予定のために部屋の整理をしていました。
アルバムや写真を見つけて、見始めたらすごく懐かしくなりました



これはタカと初めて旅行に行った写真です。5年くらい前ですね
箱根の温泉旅館に泊まりました
タカがまだ病院で働いてました。夜勤明けでタカを連れ出してサプライズ旅行をしたかったんですが、コンタクトケースが無いやらメガネを持ってきてないやら、夜勤が激務で終始移動時間に仮眠を取られてました


でも、一緒に温泉に入れたし、美味しいご飯を食べることができました




これは幼少期の僕たちです。約20年後に出会って結婚式を挙げるなんて誰も想像出来なかっただろうなー


人生って何があるかわからないですね

そんなことに想いを馳せてると掃除が進まないんですよ


あるあるですよね


それでは



















2月3日は立春ですね





3月に引っ越し予定のために部屋の整理をしていました。
アルバムや写真を見つけて、見始めたらすごく懐かしくなりました




これはタカと初めて旅行に行った写真です。5年くらい前ですね


タカがまだ病院で働いてました。夜勤明けでタカを連れ出してサプライズ旅行をしたかったんですが、コンタクトケースが無いやらメガネを持ってきてないやら、夜勤が激務で終始移動時間に仮眠を取られてました



でも、一緒に温泉に入れたし、美味しいご飯を食べることができました





これは幼少期の僕たちです。約20年後に出会って結婚式を挙げるなんて誰も想像出来なかっただろうなー



人生って何があるかわからないですね


そんなことに想いを馳せてると掃除が進まないんですよ



あるあるですよね



それでは


















はいさーい!はーたんです!(^-^)/
今日は雨で朝から寒かったですねー。
午前中に母から電話があり世間話をしてました。
はーたんはちょうどカステラを食べながら母と話していたため、母に『あんた、なに食べてんのよ!?』と言われ、『カステラだよ。』と言いました。
母『あんた昔からカステラ好きだったよね。覚えてる?沖縄のマーマーが作ったカステラを半分食べて怒られたの。笑』
母は笑いながら話していましたが、当時、怒ったのは母でありカステラ半分とは、カステラ一本を半分食べながら家に帰ったからです。
沖縄では何故か名前の語尾を伸ばして呼ぶ。
お兄さんならにぃーにぃー。お姉さんならねぇーねぇー。と呼びます。
沖縄のマーマーと呼んでいる人は、沖縄のお母さん的存在の人だからマーマーといつしか呼んでいます。マーマーの旦那さんは、パーパーと呼んでいます。
マーマーとパーパーは沖縄の離島で商店を営んでました。
はーたんが小さい頃は、コンビにもなくスーパーもありませんでした。唯一、島で買い物が出来るのはマーマーのお店だけでした。
マーマーはいつも明るくはつらつとした人で、年齢のわりに長い綺麗な黒髪をしていました。
パーパーは、色黒でいつも白い肌着のタンクトップ着ていて明るく快活な人です。
二人は50代くらいでしたが、小さい頃のはーたんからみても仲睦まじい夫婦でした。
マーマーは料理上手でサーターアンダーギやちんぴんと言った沖縄のお菓子を作って店頭にも売ってました。
中でもはーたんが大好きだったのはカステラです。マーマーが作るカステラはフカフカで卵をたっぷり使っているので黄色がつよく、なんといっても、カステラの下の方に溶けきらなかったザラメが残っており、上はふわふわで下はザラメのザクザク感が大好きでした。
マーマーとパーパーには子どもがいませんでした。
母から聞いた話では、『マーマーとパーパーはあんたを可愛がっていたね。お兄ちゃんにはお菓子とかくれなかったけど、あんたには、お菓子やアイスをいつもくれていたよねー。』
よくおばぁと買い物に来ていた、はーたんはマーマーとおばぁがよく店先で話し込んでいる間は店内を探検するか、店の奥のマーマーとパーパーの家でよく、お菓子をごちそうになっていた。ときどき、お泊まりもしていた。
マーマーは料理上手で、お泊まりのときはいつもご馳走を作ってくれた。よくパーパーから『やっぱり食べてる姿がいいなー。さぁ、いっぱい食べなさい。』とご飯を勧めてくれた。
当時のはーたんはぽっちゃり体型でよく兄や従兄弟のお兄ちゃんからバカにされていたけど、マーマーとパーパーだけはぽっちゃりなはーたんでも優しくしてくれたから大好きでした。
いつもお泊まりしておばぁの家に帰るときにマーマーがカステラを焼いてお土産に持たせてくれました。
そのお土産のカステラを半分食べたのを母に見つかり、はーたんは夕食抜きの罰を受けました。
しかし、ある夕方に事件は起こりました。
母とマーマーたちの商店に天ぷら粉を買いに行ったときに、店内が荒れてました。母とビックリして店に入るとマーマーとパーパーの怒鳴り合う声が聞こえ、家の方に向かうとパーパーがマーマーを叩いている姿を目にしました。
マーマーは泣いていました。母はとっさに止めに入り、母が『子どもが見てるでしょ!やめなさい!!』と言って二人がはーたんの方を見て喧嘩はピタリと止まりました。
母がおばぁを電話で呼びました。母に『あんなたは、パーパーを2階の寝室に連れていって寝かしつけてきて!お酒があっても飲ませちゃダメだからね!』とマジ顔の母に言われて、『パーパーもう寝よう。2階に上がろう。』と言うとしょんぼりしたパーパーと2階にあがりました。パーパーの息は酒臭く、一刻も早くその場から逃げたかったです。
しかし、パーパーに『はーたん、一緒に寝るぞ。』と言われ、断ったらまた、暴れそうだったので、はーたんは『うん』と言ってパーパーの布団で酒臭さを我慢して一緒に寝ました。
次の朝、起きたらパーパーは畑に行っていませんでした。マーマーは朝ごはんを作ってくれていましたが、顔は少し腫れていたと思います。明るく見える顔には少し悲しさが滲み出てました。
帰り際にマーマーから『昨日はパーパーを止めてくれてありがとう。カステラとこれ少しだけどお小遣いだからもらってね。』と優しい声でした。
おばぁの家に帰ってから、昨日、母に置いていかれたこと、夕飯がえびの天ぷらだったことを母に怒りました。
母に『なんでパーパーはマーマーを叩いていたの?』と聞きました。母は『知らなくていいの。でも、パーパーが酔っぱらってたらあんたはマーマーを守るんだよ。』と言われました。
あんなに仲良しな夫婦だったのに。喧嘩するなんてはーたんはショックでした。
なにより、いつも優しいパーパーが女の人に暴力を振るうのが本当に悲しかったです。
その後、マーマーは乳ガンになり闘病しましたがはーたんが成人する前になくなりました。パーパーもその3年後になくなりました。いまは、二人が営んでいた商店はなくなり知らない人が家を建てて住んでいます。
パーパーのお葬式の帰り母から聞いた話ですが、マーマーとパーパーには子どもが授からなかったそうです。
パーパーは子どもがすごくほしかったみたいでした。その悲しさからかパーパーはお酒に溺れるようになり、飲み過ぎると酒乱になりよく、マーマーに暴力をふるっていたそうです。酔っぱらうと『子どもができないのはお前のせいだ!』とマーマー怒鳴るそうです。
母『だから、ときどき、あんたをお泊まりさせてパーパーがお酒を飲まないようにしていたの。あんたが来るときパーパーお酒なんか飲んでいなかったでしょ?』と言われ、母の企みって怖いなって思いました。
カステラを食べるときはいつもマーマーの優しい声とパーパーの笑顔が蘇ります。
今は天国で二人が仲良くしていたら嬉しいです。
それでは
















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