カオスな過去

娘と3人家族の同性カップルです!
2015年12月25日に交際が始まり、2018年4月14日に結婚式を挙げ、2022年2月1日にパートナーシップを届出、2023年3月13日に養子縁組し、2023年6月に娘が誕生しました。
いろんな形の家族がある中のひとつの形として、知っていただければ幸いです。

あの日の僕にさようなら~その③

はいさーい!はーたんです!(^-^)/



この前はディズニーでのエピソードだったんですが、今日は幼少の話をしていきます。



はーたんは幼少の頃は肥満児でした。www
大人になるにつれて徐々に痩せていきましたが、意識してダイエットしたのは看護師になってからでした。(今はまた体重増加傾向ですがw)小学生のときは体型のことで上級生にからかわれてました。





小さいときから両親は共働きで、母が働いていた沖縄料理屋の控え室みたいなとこで遊んでいました。そこでは、従業員の人やお店に来るお客さんからお菓子やパンをもらい、それをバクバクと食べていました。小学4年生からは鍵っ子になり誰もいない自宅に帰るようにりました。小学生の頃は琉球舞踊を週3日,お習字、学習塾など習い事をしていたので、友だちと放課後に遊んだ記憶がありません。



それでも、習い事の前に食べる母親の作りおきしたご飯を食べることが唯一の楽しみでした。



映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』で幼少のたいちゃんが冷蔵庫を開けるシーンが正直、昔の自分と似てるところがありじーんとして、泣いちゃいました。


冷蔵庫を開けると安心する気持ち、なんだか分かるような気がしました。そこには母の愛情があるんじゃないかって思うからです。また、食べて寂しさを紛らわすってこともあったと思います。





また、はーたんは小さいときからアトピー性皮膚炎で悩んでました。
いや、それ以上に、母が子どもがアトピー性皮膚炎になり、悩んでいたのかもしれません。皮膚科に診てもらっても改善しないので、母は民間療法に頼るようになりました。


海水浴がアトピーには良いと聞くとはーたんを海に連れて行きました。だけど、アトピー性皮膚炎で掻いた傷口に海水が滲みて痛かったですが、母は『痛いのは効いてる証拠なんだからちゃんと入りなさい!』と強く言ったり、中国人から皮膚に良いと漢方なのかよくわからない木の枝をお風呂に入るときに、『今日からこの木の枝で体を擦りなさい。石鹸は使っちゃダメよ!』と言われました。
今聞くと胡散臭いとか思いますが、当時はアトピー性皮膚炎もあまり知られておらず、正直、母の民間療法によりはーたんの皮膚はボロボロになっていきました。泣


※民間療法は科学的に根拠がなくアトピービジネスで儲ける悪徳な業者もいるため治療するなら皮膚科専門のクリニックか病院に行きましょう!


このままではヤバイと危機感を感じたはーたんは、高校生のときに自ら皮膚科専門のクリニックを見つけて医師の指示通りに薬を塗り今では保湿さえすれば悪化はしなくなりました。



今でも体型や自分の肌に対してコンプレックスがあります。
きっとそれは一生消えないと思います。
だから、人前で裸になることが正直苦手です。



映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』で、たいちゃんがおばあちゃんの願いを叶えた一言は、はーたんの胸にも突き刺さりました!滝のように泣き嗚咽を堪えて感動してました!



気になる人は、映画館で『母さんがどんなに僕を嫌いでも』を観てください。(*´ω`*)




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あの日の僕にさようなら~その②

はいさーい!はーたんです!



はーたん実はディズニーランドが少し怖いんですwwwディズニーシーは大丈夫です。



あんなにタカとディズニーに行ってるのに何を言ってるんだと思うじゃないですか?




タカによくランドに行くと『いつもより歩くの早くない?』って言われ『ディズニーくるとワクワクするからね!』と答えていましたが、過去に体験したあるできごとがきっかけなのです。






実は3才のときに、家族でディズニーランドに初めて行ったとき、赤いミッキーの形をした風船をはーたんは欲しくて、母が買ってくれたんです!それがすごく嬉しかったんですが、風船を受けとり振り向くと家族の姿がありませんでした!!




3才のはーたんは焦って辺りを探しましたが人が多く見つけられず、その場で泣いてしまいました。持っていた赤いミッキーの風船も離してしまい途方にくれました。


その時は家族に捨てられたと思いましたw


その後にディズニーの迷子センターの人に保護され、家族が迎えに来るのを待っていましたが全然来ず、不安に駆られていました。

迷子センターには、はーたんの他に後から2人の迷子が保護されましたが、他の2人は早く親が迎えに来てはーたんが最後まで取り残されました。



結局、父が迎えに来てくれましたが勝手に離れたこと(勝手には離れてない)、風船を無くしたことに対してすごく怒られました。泣




それ以来、ディズニーにくると少し早足で歩くようになりました。(自分では自覚ないんですが)


あと、人を待つのが苦手になりましたwww来ないんじゃないかとガチで不安になるので辛くなります。


タカや友だちには待ち合わせするときに『俺は沖縄時間だから少し遅れるねー笑』とか言って少し時間に遅れて行きますが(←迷惑なやつw)ほんとは不安になるので待てないだけです。



だから、自分の子どもとディズニーに行くときは絶対に手を離さないで行こうと思います!!



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あんたなんか産まなきゃ良かった。ってはなし。~あの日の僕にさようなら~その①

はいさーい!はーたんです!(^-^)/


タイトルがインパクトありすぎてごめんなさい。



 この前の歌川たいじさん原作の映画
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』を観て蘇った記憶がありました。





今では笑い話なんで軽く流して読んでくださいね!



はーたんも実は母親に『あんたなんか産まなきゃ良かった。』って言われたことがありました。




それは、昨年、自分がゲイだとカミングアウトしたときです。





勇気を出してカミングアウトしたんですが、母からは『それ(同性愛)って病気でしょ?』と言われ、ちゃんと説明しても理解してもらえず、最終的に『あんたがゲイでもお母さんはいいよ。でも、結婚式をするのは反対だからね。なんで、そんなことするの?他人には黙っておきなさい。 』と言われました。




はーたんも耐えかねて、母にキレてしまい口喧嘩になり、母から『あんたなんか産まなきゃ良かった。』って言われ、はーたんも『産むんだったらこんな中途半端に産むんじゃないわよ!』って台詞を吐き捨て泣いて実家を出ました。それからは母と半年以上は音信不通になりました。









今では関係も修復し仲の良い親子に戻りました。今でははーたんとタカを世界で1番大切に思っていると電話で話してました。人は変わるもんだとつくづく思いました。苦笑




あの日の僕にさようなら~のタイトルがあるブログは、はーたんのちょっぴりカオスな過去の話を綴っていきます。www



明日は、歌川たいじさんの舞台挨拶にタカと行ってきます!楽しみ!




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