はいさい!はーたんです!(^-^)/


この時期になると毎年思い出すことがあります。


それは、天国にいる祖父のことです


小児科の看護師を僕は10年以上してるので、子どもが好きで看護師になったの?と聞かれることが多いですが、


実は初めから小児科に行きたかったわけではありませんでした。笑


まして、自分が看護師になるなんて思わなかったし、家族や親族にも医療者はいませんでした。


そんな僕が看護師を志した理由は、忘れもしない中学3年生の12月24日でした。


その日は、学校の終了式で冬休みに入るときでした。街はクリスマスイブでサンタクロースの格好をした店の人が呼び込みをしてました。


冬の始まりくらいから祖父は肺炎で病院に入院してましたが、母からは『おじいちゃん、元気で暇してるから会いに行ってあげなさいよ。』と言われてました。


そんな言葉を思い出して、学校帰りに直接、祖父が入院してる病院に向かいました。


病院に行く途中で祖父と一緒にクリスマスケーキを食べようと、病院近くのケーキ屋さんでショートケーキを2個買い病院に行きました。


しかし、母が教えてくれた病室はもぬけの殻で、人がいた気配がありませんでした。


最初、僕は、『おじいちゃん元気になって退院したのかな?』と思いナースステーションで尋ねると、対応してくれた女性の看護師さんから少し固い表情で


『病室が移動してナースステーションの隣の部屋にいます。』


と言われ案内されました。


祖父はいましたが、母が言ってた元気な祖父の様子はなくて、寝たきりでモニターに繋がれてました。


時々苦しいのか口を開けて息をしてました。


『おじいちゃん、おじいちゃん、分かる?会いに来たよ。』


と話しましたがおじいちゃんは寝たままでした。



しばらくすると、男性の看護師さんが入ってきて、祖父の体調が悪くなったことを説明してくれました。


僕が、ケーキの箱を持っているのを見て


男性の看護師さんから


『おじいちゃんにケーキを買ってきたの?クリスマスイブだもんね。優しいんだね。でも、具合が悪いからおじいちゃんに食べさせることはできないかな。ごめんね。』


と言われました。


一時間くらい面会してましたが、祖父は起きることはなかったので、帰るときに祖父の手を握ると弱々しく握り返してくれました。凍ったように冷たい手の感触でした。


『おじいちゃん、また来るね。今度は一緒にケーキ食べようね。メリークリスマス。』


と言って帰りました。


家に帰ると母が慌ただしく準備してました。


母から『お帰り。どこに行ってたのよ。今からおじいちゃんの病院に行くわよ。おじいちゃんたった今亡くなったっておじさんから連絡きたの。』と言われました。


『え?さっきまでおじいちゃんの病院にいたよ。おじいちゃん寝てたよ。』と母に言うと驚いた顔をしてました。


母と急いで祖父の入院してる病院に戻りました。


病室につくと、あの男性の看護師さんがおじさんと話してました。


僕に気づき、男性の看護師さんから


『君が帰ったあと、すぐにおじいちゃんは亡くなったんだ。きっと安心して旅立てたんだよ。最後にちゃんとお別れをしてあげてね。』


と言われました。


人生であんなに声を上げて泣いたのはあのときが初めてだったと思います。


母からは『あんたは、最後におじいちゃんに呼ばれたんだよ。最期に孫が会いに来てくれておじいちゃんも良かったんだよ。安心して天国に行けたんだよ。』と言ってました。


おじさんからも『会いに来てくれてたんだね。じいさんも最期は1人じゃなくて良かったよ。ありがとう。』


僕は、おじいちゃんになにもしてあげられなかった。帰らずにいてあげていれば良かったと思いました。


 この時、僕はあの男性看護師さんのようになりたいと思いました


そして中学3年の冬、もともと商業系の高校に行こうと思ってた僕ですが、衛生看護科に行くことを決意しました


家族からは大反対、担任の先生からも『学校見学も行ってないのに大丈夫か?考え直せ。』と言われました。


しかし、祖父が『看護師になりなさい。』と言ってるような気がしました。


そして、県立の衛生看護科に入学し今に至ります。


衛生看護科時代は、終末期にある患者さんに携わりたいと思ってました。


まさか、自分が小児科で働くなんて思わなかったです。笑


これが僕が看護師を志した理由でした。


祖父の導きがあったから、看護師としての今の自分があるんだと思います。


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