はいさい!はーたんです!
宮島から帰ったあとに市内に戻り、原爆ドームと平和記念資料館、おりづるタワーに行きました。
原爆投下前は『広島県産業奨励館』と呼ばれ県内のさまざまな物産を展示して賑わっていたそうです。
原爆の悲惨さと言う言葉だけでは表現できないものがありました。
そのあと、タカに連れられ原爆の子の像を見に行きました。
どのような経緯で、この石碑が設立されたのか?
このあと行く、僕は平和記念資料館で初めて知りました。
平和記念資料館には初めて行きました。中には外国人や修学旅行生がたくさんいました。
原爆投下時の悲惨さを物語る当時の衣服や持ち物が展示されていたり、被爆者の手記や家族に宛てた手紙など、見たくても目に涙が溢れてしまいました。
被爆者は戦争が終わっても、原爆症に苦しんだそうです。
原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんは原爆による白血病でなくなりました。その後、同級生たちの募金運動により設立されました。
次におりづるタワーに行きました。
おりづるタワーの展望室から広島市街が一望できます。
夜はバーになりますよ。
おりづるタワーでは入場料+100円を払うと折り紙をもらい折り紙が折れますよ!
折った折り鶴は専用の通路からおりづるの壁に入れることができます。
タカは折り鶴が苦手みたいで作り方をよくみて一生懸命折ってました!
折り方が分からない方もタブレットで分かりやすく解説があったり、スタッフの方が教えてくれますよ!
なんとか、折り鶴が完成しました。この後、おりづるの壁に入れてきました。
僕は平和記念資料館で本と折り紙を買いました。
沖縄は苦しい地上戦が繰り広げられたと、おじぃやおばぁから昔、聞いたことがあります。おじぃは上官から『アメリカ兵に捕まるくらいなら自決しろ。』と言われていたそうです。
おばぁは親友が目の前で亡くなっているのを見てきたそうです。
広島や長崎はある日、突然に原子爆弾を落とされました。終戦しても原爆症で差別を受けた人も少なくありません。
僕にできることは、戦争の悲惨さを次世代に伝えていくことだと思っています。おじぃやおばぁの体験した話や原爆の怖さなど伝えていきたいと思います。
平和を願って、毎日折り鶴を折りたいと思います。
それでは