はいさーい!はーたんです。



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先週、テレビで沖縄戦のことを特集しているのをタカと2人で観てました。




はーたんは、沖縄戦のことをおじぃやおばぁから聞きました。


タカは、原爆について祖母から聞いてたそうです。






はーたんのおじぃはとても無口であまり話さなかったけど、たまに昔の話をしてくれました。おじぃが小さいときに、親が離婚し、兄弟はおじぃのお父さん、おじぃだけお母さんと暮らしていたそうです。



おじぃのお母さんは再婚して、継父と暮らすことになりましたが、継父は働くことはなく酒飲みだったそうです。




その分、おじぃは小学生の頃から馬車馬のように働かされたと聞きました。




学校にも行かしてもらえず、ただただサトウキビを耕したり、力仕事をして日銭を稼いでいたそうです。



おじぃが昔の話をすると絶対に言う言葉がありました。

『自分は小さいときに甘えることも泣くこともできなかった。毎日、辛い仕事ばかりだったけど生きていくしかなかった。だから、泣いても誰も助けてくれない。はーたんも、強く生きていくんだよ。』




今は当たり前のように学校に行かせてもらったり、学習塾や習い事をしているのが当たり前になってきました。




おじぃは隣の村に住んでたおばぁと結婚しました。



おばぁもおじぃと似た境遇だったから惹かれあったのかもしれません。





その数年後に、沖縄戦に突入しおじぃは徴兵されていきました。






兄弟や友人をたくさん亡くしたそうです。





おばぁもおじぃを待つ間はずっと心配していたそうです。




終戦後、おじぃは帰還し、そのあともおばぁと一緒にサトウキビを耕して暮らしたそうです。



この話を聞くといつも戦争の話を聞くと暗い気分になるんですが、そのあとにおじぃは『あの頃は、貧しく辛い時代だったけど、今はおじぃとおばぁはたくさんの子どもに、たくさんの孫に囲まれて幸せなんだよ。はーたんも、子どもができたらおじぃに見せにくるんだよ。命は宝物(ぬちどぅ たから)さー。』って言ってくれます。



今は豊食の時代で欲しいものは、ある程度手に入れることができます。
それでも、食べ物のありがたさや家族の愛情は当たり前だと思わず尊さを持ち続けたいですね。


はーたんも、もし子どもができたらおじぃやおばぁの体験した戦争の話を伝えていきたいと思います。







それでは




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